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2006年09月22日

その美意識は僕を黙らせる。

 この時代を生きるなら一度は経験しておきたかった"Madonna Ciccone Ritchie"のショウに行って来た。兼ねてから彼女ステージディレクションは凄いと聞いていたので,かなり楽しみにしていた。そしてMadonnaのステージはほんとうに凄かった。
 ショウを通してのその美意識の高さに、僕は余計な言葉を全て飲み込んだ。正確に言うと最初にマドンナが登場したその瞬間があまりにもカッコ良いのでそこで日本語を全て忘れた。
そこには秒刻みに予定調和が、次々と完璧に組み上がってく快感があり。最近テレビで観た唐招提寺の修復復元を思い出させる。即興がスゲエとかヤバイだとかいくら吠えた所で、数万人を熱狂させる完成度の高い予定調和には子犬の遠吠えだとさえ思った。
あそこまでのステージを見せられてケチをつけるほど僕はヤボじゃない。ほんとうに行って良かった。
そして、僕らはせいぜい吠え続けることにしよう。

2006年09月04日

暗闇の中で瞼を閉じる

Dialog in the Dark 2006 TOKYO 以前から全く物が観えない真っ暗な状況下に客を置いて演奏を聴かせるライブやりたいと思っていた。視覚情報は純粋に音楽の事だけを考えると、とてつも無く邪魔臭い。全く同じレベルのファンキーなジャズを、禿げたサラリーマン風の日本人が演奏している場合とイケメン黒人さんが演奏してる場合、個人差はあれど我々日本人の殆どは黒人さんの方をカッコイイと思いCDを買い応援するのも黒人さんの方でしょう。僕もそこでサラリーマンの方を選ぶ自信がありません。逆に言えば同レベルの話に成ると観てくれがいかに大事かってことなんですがね。ただ視覚情報が同じレベルの音楽に対して余計な固定観念を与え不平等な評価へと促している事には間違いないように思います。ならば真暗闇の中で音楽とは不純物の少ない高純度の状態で人の耳に入るのではなかろうか?と思うのです。

 週末に"Dialog in the Dark 2006 TOKYO"に仲の良い友人6人で参加した。人生で初めて全く物が見えない状態を体験したのですが、何とも不思議な体験だった。聴覚、触覚、味覚、嗅覚がたよりにコースを進んで行くのだが不思議にそんなに恐怖感は無く何とも穏やかな世界であった。音の質感を思い出し物の質感を取り戻し心はだんだん無欲になって行く。目が見えなくても色々な物が暗闇の中で理解出来る。全く見えない状態でも目を閉じた方が感覚が鋭くなる気がするは不思議な物で、ある種の儀式的行為にも思えた。方向感覚だけは、ほとんど解らないままだった。
 僕は今回、目を使わない状態をそのまま僕が感じた暗闇と表現しましたが、もしかすると感覚が鋭ければそれは暗闇とは感じないのかも知れない。今回、建物の中と言う感覚も強く感じたので外で同じ体験をしたら違う感覚を覚えたのかも知れない。

 目が見えると言うのは、確実にいろいろな何かを犠牲にして手にしている感覚だと言う事が良くわかる良い経験だった。
ただ目の前に裸同然の女の子が歩いていたら、まあ目を鬼のように使うし、脳に視覚として必死で転写するんだけどね。Naohide

【totem Coming up shows !!!】
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9/15(Fri)たかのや@新宿
10/3(tue)青山月見ル君想フ
10/14(sat)Daisy's Cafe
問い合わせ : info@watergroove.com
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